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鈴木忠平さん『嫌われた監督』はどうやって生まれたか?

 『嫌われた監督』(文藝春秋)で、ミズノスポーツライター最優秀賞、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞された本学卒業生の鈴木忠平さんにお話を伺いました。(本インタビュー後、鈴木さんは第21回新潮ドキュメント賞も受賞されました。)

大学入学から就職まで

受賞おめでとうございます。
鈴木忠平さん(以下鈴木さん):ありがとうございます。

名古屋外国語大学への入学年と学部学科を教えていただけますでしょうか。
鈴木さん : 1996年に国際経営学部、国際経営学科に入学しました。名古屋にいた期間は結構長いです。小6の時父の転勤で名古屋に引っ越して、大学卒業後も新聞社の名古屋本社にいました。

1996年に大学に入られて、将来の自分の職業を意識し始めたのはいつ頃でしょうか?
鈴木さん : 大学3年の終わりから周りの友人たちが就職活動をし始めて、自分は何に興味があるのかと言ったら、やっぱり書くことに興味があり、特にスポーツの記事を書きたいと思っていました。当時マスコミを受ける人というのが大学内には少なかった思うんですよ。資料を集めに行ってもあまり就職課に資料がなかったのを覚えています。そこで早稲田セミナーといういわゆるマスコミ志望者向けの就職活動セミナーみたいなのが、名古屋駅の方でやっていたので、栄だったかな。そこに4年生になってから行き始めましたね。

その段階でマスコミに入るということを意識していたということですか?
鈴木さん : そうですね、スポーツ新聞社も含め、普通の一般紙も運動部があるので受けました。覚えているのは、君たちは氷河期なんだよということを就職課の職員の方に言われたことですね。

バブル崩壊後のいわゆる就職氷河期ですが、新聞業界、テレビも含めて今ほどマスコミはインターネットに脅かされてはいなかったですよね。
鈴木さん : 違いますね、はい。みなさんがウエブでニュースを見るというようなことはまずないような時代でした。

逆に当時の新聞社には古い体質が残っていたのでは?
鈴木さん : いわゆる新聞社っぽさというか、昭和っぽさというか、本当に夜討ち朝駆けとか、ああいうイメージですよね。編集部に行ったらタバコの煙がもくもくとして、という感じは当時にはありましたね。

野球担当はご自身の希望だったのでしょうか?
鈴木さん : 自分は元々大学でもサッカーをやっていて、サッカーワールドカップの取材をしたくて新聞社に入ったので、そういう希望は伝えていたんですけれども。

元々希望していたサッカーとは違う野球の担当というのはどういう印象でしたか。
鈴木さん : 自分も大相撲は取材したことはないんですが、野球もどちらかというとそういうドメスティックな世界なので。番記者の人たちがいて、記者クラブがありまして、そこに加盟しているメディアしか取材に入れないんですよね、野球の現場も。いろいろなローカルルールがあったり。まあ、閉ざされている雰囲気もあって、自分も最初は野球のルールもそうなんですけれども、そういった取材のルールとか慣習みたいなものにちょっと馴染めないものがありましたね。

落合監督と出会う

落合さんが監督就任の年に鈴木さんが中日担当になったのは偶然だったのでしょうか。
鈴木さん : 偶然なんですよ。そもそも、プロ野球の担当になったのも元々入社して、地方版といって東海地方だけの話題を集める紙面がありまして、つまりこの地区しか載らない記事を担当していました。結構自分は数字とか、固有名詞に弱くて、新聞の誤植、「赤字」って言うんですけれども、間違いを出してしまうことが多く、すごく上司から怒られていました。じゃあこいつをどう扱えばいいのかって困っていたと思うんです。そこで上司がプロ野球だったら、担当も1人じゃないし、結局プロ野球ってメンバーが決まっていまして、あんまり年ごとに大幅に入れ替わることはないので、毎日同じ名前が出てくるんですよね。だからそれだったらお前も間違えることは少なくなるだろうということで、プロ野球の担当の3人のうちの一番下っ端というか、そこでやってみろということになって、それが2002年くらいでした。
 
『嫌われた監督』の最初のシーンは、監督の自宅まで直接会いに行くところから始まっていますが、当時は将来本にする考えもなしに、取材していたのでしょうか。
鈴木さん : そうです。まあ言われるがままに。特にその2003年のシーンなんかは自分はどういうことが起きているのかも訳もわからずに、言われるがままに言われた場所に行って、言われたセリフを伝えるということで。自分では記事も書いてないです。新聞記者だった当時はこういう形で書こうとは思っていなかったです。新聞社を辞めた後、文藝春秋の「Number」というスポーツの雑誌の編集部に3年間いたんですよ。そこに軸足を置きながら、スポーツのちょっと長い読み物を書いていた期間がありまして。そのときに、いろいろ、どういう書き方というか方法があるのかということ、人称の切り替えですとか。証言をベースに書いたほうがいいのか、それとも場面をベースに書いたほうがいいのか、どちらがリーダビリティというか、読み手を引き込むことができるのかという、そういう方法をいろいろ勉強させてもらいました。そして、編集者の人たちと、これはこうしたほうがいいんじゃないのか、いや自分はこう思う、そういったやりとりをしていた期間がありました。それで本を書くときには、こうやって書けば、なんとなく落合さんという人物を多角的に立体的に描けるんじゃないかっていうものはあったんです。

その後の雑誌での連載は、単行本化を考えてのことだったのでしょうか?
鈴木さん : 単行本にすることは念頭にはありました。ただ単行本にする時にはやっぱり雑誌と単行本の長編というのは、やっぱりちょっと違うので、何ヶ月か修正と加筆をしました。だから雑誌の時とは結構変わっていると思います。
単行本ができた時にページ数のこととかは考えていなかったので、これだけ分厚くて重くてしかも税込2000円超えるのもどうかなというのは、編集者も自分もありました。結構時代錯誤なものができてしまったという気持ちがあったんです。でもその後色々な人に手に取ってもらったということで、必ずしも手軽に読める、ライトなものが好まれる時代でもないんだなということがわかって、ちょっと勇気が出ました。

落合監督について書くのはこれで最後ですか? 
鈴木さん : やっぱり、そうですね。落合さんのことを書くのはこれでおしまいですね。ある人物の長編を書くっていうのは、その人物と訣別するくらいのものだっていうのが、自分もようやく分かりかけてきまして、これからもそうだと思うんですけど、この人物について書いたらそれで終わりということになりますね。

新聞社を辞めた理由

ところで新聞社を辞めるきっかけというのは何かあったのですか?
鈴木さん :  2016年に退社しているんですけれども、その当時は阪神タイガース担当で大阪にいまして、辞めるきっかけというのは、やっぱり先ほども話に出たんですけど、インターネットが普及してですね、例えば自分達がまあスクープ合戦をやっていたんですよ。ニュースを取るっていう。いち早く一次情報をとってくるっていう。そのために日々動いていたんですけれども。でも結局例えば、自分がスクープを取れたとしても、その情報は朝インターネットに載って、どこの誰が書いたかもわからないまま読まれて、夕方にはもう消えているんです。ヘッドラインから。だからこういうことが、なんかこう自分にとってちょっと虚しい感じっていうのがつのって行ったんです。自分が書きたいのは、ニュースを取材する過程、プロセスってものに面白味を感じていたんですが、新聞には、例えば本に出てくる落合さんの仕草とか、タクシーの中の表情とか、新幹線に乗るまでの様子とか、そういうことってのは必要ないんですよ。そういうものは新聞には書けません。そういうところにフラストレーションがあって、本当はもっとこういうところで面白いところがあるのに、なぜ表現できないんだろうとずっと思っていました。2012年から阪神担当を4年やって、2016年で一区切りしたので、そこでもう新聞に自分は新聞に書きたいことはないんだろうなということもわかったので、そこで決断したんです。

「Number」に移られてからは自分の希望していたことができましたか。
鈴木さん : そうですね。自分が「Number」に入ってすぐ、2016年にプロ野球の清原さんが逮捕されて、夏に「Number」が清原さんの高校時代の特集を組んだんです。清原さんは、甲子園でホームランを歴代最多の13本打たれているんですけれども、それを打たれたピッチャーを取材しようという。そういう取材を書かせてもらう機会があって、それはまさに新聞メディアではりありえないことなので、そういう意味では、自分がやりたかったことにいきなり巡り会えたということがありました。
やっぱりスポーツを通して人間を描くっていう、スポーツそのもの、例えば技術力の深さだとか、結果とかそういうことでなくて、スポーツをベースに人間を描く、人間の普遍性みたいなものを描く、そういうことができるんですよね。それはやっぱり雑誌という媒体の性質かなとは思います。

今ではスポーツノンフィクションは一つのジャンルになってきていますが、鈴木さんはその第一人者で構成力や文章力が高く評価されています。どういう本を読まれてきたのでしょうか?
鈴木さん : 自分が本当に読んできたのは、あまり本は読んでこなかったんですけれど、レイモンド・チャンドラーのマーロウシリーズとか、シャーロック・ホームズとかは一応読んできて、まあそういう探偵小説だとか、ハードボイルド小説ですかね、そういうものは好きで読んできて、あとは雑誌の「Number」をですね、学生時代から読んできたので、そういう意味で、スポーツノンフィクションにちょっと憧れがあったのは「Number」の影響かなと思いますね。

ほとんど男性を書く場合が多いですね。『嫌われた監督』にも『虚空の人』にも女性がほとんど出てきません。
鈴木さん : そうなんですよね。だからまあ、ハードボイルドが好きで、スポーツというジャンルを、もちろん女性アスリートもいらっしゃるんですけれども、人間を描く手段としてスポーツを選んでいるのも、そういうところがあるかもしれないですね。ハードボイルドな、孤独な人が好きです。

大学で学んだこと

大学で学んだことで直接役に立ったことはありますか?
鈴木さん : 直接役に立ったことはやっぱり、新聞社にいた頃に、メジャーリーグの取材なんかに何回か行かせていただいて、あとは外国人選手を取材することが多少ありまして、そういう時に、自分なんか本当にきちんと英語を勉強しなかった感じだと思うんですけれども、やっぱり大学で日々ネイティブの先生に触れていたので、そういう意味では、なんの用意もなしに一応最低限ギリギリの取材に必要な会話はできました。

メジャーリーグの取材でアメリカに行かれていたのですね。
鈴木さん : ご褒美じゃないですけれども、プロ野球担当は順番に3ヶ月ぐらいアメリカに行かせてもらえるんです。喋るのは難しいと思うんですけれども、聴くっていうのは、あれだけ触れ合っていればできるようになると思うので。海外では、やっぱり目に入ってくる言葉だとか、耳に入ってくる言葉の意味がわかるというのが、すごく助かることなんだなあと思いました。

学生時代に海外取材に行きたいという思いを抱いたのですね。
鈴木さん : そうですね。僕が大学生活の中で一番良かったというか、思い出に残っていることは、大学3年の夏、98年の夏に大学の友達と2人で、日本が初めて出るワールドカップだったので、フランスまで観に行ったことなんです。チケットも持たずに行きまして。あの時、騒動になってですね、旅行会社を通じてチケットを予約していたんですけれども、チケットが全部キャンセルになってしまって、反故にされちゃったんです。その騒動があって、手ぶらで行くのか、それとも旅行自体やめるのか、という選択がありました。自分とその友達はチケットを持たずに現地で手に入れようということで行って、現地の市民に、本当にカードというかダンボールに書いて、掲げて探し回ったんです。
その時にもちろん自分の足で、初めて知らない場所に行って何かを獲得したという経験もそうですし、サッカーを取材に来ているジャーナリストの方と現地で何人かお会いしてですね、自分達学生にインタビューに来るんですよね。アンケートみたいなものだったと思うんですけど。そういうことで、スポーツジャーナリストって格好いいなという思いもありましたね。大学時代に一番その後の糧になったというのは、その経験かもしれないです。
でもまあいろいろ騙されたりもしたんですよ。路地裏に来いと誘い込まれて、まず金を出せと、でチケットを見たら全然別の試合のチケットで日本戦じゃない。それでその人たちを追いかけて捕まえてお金を取り戻すというドタバタ劇もありました。

学生時代にやっておけば良かったと思うことはありますか。
鈴木さん : やっぱりああいう大学にいたので留学を一回でもしておけば良かったかなと思っています。結構同じ学部の子たちも、女の子が多かったと思うんですけれど、留学を申し込んで頑張って行ってきましたみたいな子がいて。もっと早くこういう世界があるんだなというのを知っておけば、自分ももうちょっと早く社会で自立できたという気がします。自分は自立するまでに時間がかかったので。
自分はいわゆるすごく頑張って勉強してという学生ではなかったと思うんですけれども、でも何て言うんですかね、あの4年間いろいろフラフラしたりとか、いろんなことを考えたりとか、仲間ができたりとか、さっきみたいなフランスの経験をしたりだとか、あの4年間は大きかったなと自分でも思うんですよ。何かをこう形として身につけたということではないかもしれないけれども。

現在の仕事について

取材対象に直に当たることが書くことのきっかけになっているように見えますが。
鈴木さん : 自分が現場に行って取材するというのはどんな種類の原稿でも毎回必要ですし、ノンフィクション作家っていうのはそれをもっと短いスパンでどんどんやっていって作品を生み出していくという仕事だと思うんです。だから今回はたまたま自分は新聞社で8年間取材してきたことをベースにできたので書けましたけれど、これからは一体どれくらい取材ができてそれをもとにどれくらいのものを書けるのかということが問われてきますね。いずれにしてもやっぱり取材が大事だということは思いますね。
今回のように、雑誌に連載をしながらそれを本にしていくというのが書き手にとっては理想で、そうすると、雑誌の方で取材費は出してくれますし、もちろん連載せずに書き下ろしで単行本出しますと言っても取材費は出してくれる場合もあるんですけれども、でもやっぱり雑誌に一緒に伴走してもらいながら進めていくというのが理想かなと思って。どんなに多作な方でも一年に一作だっていう風に言われるので、まあ長いスパンで考えていく必要があるかなと思いますね。

今の活動は東京での執筆が中心ですか?
鈴木さん : 今は世田谷にいまして、基本的に何ヶ月に一回まとめて10日から一週間取材に出ています。あとは原稿を書いているという日々です。まあ「Number」っていう雑誌が自分にとっては本籍みたいなところだと考えているので。今はお陰様で、こういう人に関心がある、こういう事柄に関心があるんですというと編集者の方々が、こういう発表の仕方があるっていうことを考えてくださるので。
やっぱり人間全てを描くことは無理なので、何を書かないか、どの側面しか書かないかということの方が重要かなと書きながら段々とわかってきました。やっぱり自分も読者として体験をするのであれば最後に普遍的なものが何か自分の中に残るとか、発見があるとかそういう読書体験がしたいなあと思う方なので。ある人物を通して世の中とか人間の普遍性をかけらでも提示できればなあと思っています。

鈴木さんの書かれたスター選手についての記事を読みたい人も多いのでは
鈴木さん : 最近ではニュースのヘッドラインになるようなスター選手について依頼を頂戴しても、あまり何を書けばいいのかわからないというのが正直なところです。やっぱり合理性、こうして努力したからこういった結果が出ました、競技力がこれだけ高いですということを、自分のような書き手が活字で表現する意味が果たしてあるんだろうかと思ってしまいます。それよりももうちょっと人間の陰影がちゃんと見えるような例えば無名の方であってもそういう方の方が、自分が書こうとしているものには適しているんじゃないかなと思うんです。

有名な選手の取材には興味はありませんか?
鈴木さん : そういうインタビューはたくさんやらせてもらってきたんですよ。新聞社にいた時もそうですし、「Number」に行ってからも、すごい人に、この人の競技力の高さを本人に聞くっていうことがあったんです。すごくつじつまが合っているけど、つじつまが合いすぎているっていう。果たしてこれを読んだ後何が残るんだろうっていう。そういう経験をいっぱいしてきて、これじゃないなと思ってきたのはありますね。
まあ本人にインタビューするっていうこともたくさん経験させていただいて、ただ自分も含め、本人の言葉ほど本人を表せてないものはないんじゃないかと実は思っています。だからむしろ第三者が何の利害もなしに見ている方がよっぽど興味深い視点になったり、本人を言い表していたりするのではないかと思っています。

イチローさんも取材されているんですよね
鈴木さん : そうですね。自分はそれほどたくさん接してきたわけじゃなくて本当に新聞社にいた時に数ヶ月シアトルに行かせてもらったくらいなんですけれども。イチローさんは、何ていうんですかね、根底にコンプレックスを感じるというか、それはプロに入る経緯とかもあるんだろうと想像するんですけど、世の中に対する反骨を感じるというか。もちろん成績はすごいんですけど、イチローさんのヒットを書かなくても、何かは書けるのかなと、グラウンド上だけでなくて、グラウンド上を書かなくても何らかの物語にできるんじゃないかなという感じはする方でしたね。

今後の予定

学生時代に自分の将来の姿を想像していましたか?
鈴木さん : 学生時代に考えていたことはやっぱり本当に新聞記者としてワールドカップの開催地に行って取材して、どんなものを書くかすらイメージせずにとにかく自分が記者としてその現場にいられたら幸せだなぐらいのイメージしか抱いていなかったですね。

最新の『虚空の人』にも清原さんの選手時代のことはほとんど書かれていませんね。
鈴木さん : 自分が取材を始めた頃は、清原さんが転落してからなんです。逮捕された直後なので。グラウンドのことは一行も書いていないと思います。
今若い人たちが読むのはコミックですけど、自分も編集者も言っているのは、ある年代からコミックにずっと負け続けてきている文芸が、そこにどれだけ立ち向かっていけるか。例えばノンフィクションでも今までだったら社会的な使命感とか歴史資料みたいな意味合いのものが多かったと思うんですけれども、自分や担当してくれる編集者が目指しているのは、やっぱりリーダビリティの高い、ノンフィクションなんだけれどもちゃんと一つの物語として読めるものをどんどん作っていければ何か見えてくるものもあるんじゃないかと、そういうつもりでやっています。

今後ますますのご活躍を期待いたします。本日はありがとうございました。
鈴木さん : こちらこそ、ありがとうございました。
2022年7月29日(談・写真提供/鈴木忠平、インタビュー・構成/伊藤達也)