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2020年度入学生へのメッセージ



入学生へのメッセージ

今日、晴れて入学の日を迎えられた皆さんに、名古屋外国語大学を代表して心からお祝いを申し上げます。今日から皆さんの新しい学び舎となる名古屋外国語大学は、二〇一八年に創立三十年の記念すべき年を迎え、本格的な「自立」の時代に入りました。世界大学ランキング二〇二〇の最新版では、全国に七七四ある大学のなかで九十位、国際性の部門では九位という成績を収めることができました。ですが、大学それ自体の「自立」にも増して大切なのは、今日、入学を許可された皆さんの一人ひとりの「自立」です。学長として、大学院、学部、学科を問わず、皆さんに寄せる期待は同じです。ひと言でいうなら、真の意味での「大人」としての成長の証を手に入れてほしい。「大人」のイメージは、人それぞれにあるでしょうが、私が今イメージする「大人」とは、ひと言で「成熟」です。一個の「大人」として、世界の人々から「さすが名古屋外大生」と少しでもリスペクトされる「自立」した人間となるべく、その一歩を踏みしめてほしいのです。今、ここで敢えて「成熟」の意味を説くことはしません。なぜなら、その意味を自ら明らかにしようとする努力を経てはじめて真の成熟への道が開かれるのですから。
さて、入学式典の中止という異例の事態とともに新たなスタートを切った新入生の皆さんに対し、私はこれから、最近得た二、三の知見を紹介することで、新たな門出を寿ぐ言葉に代えたいと思います。皆さんは、「旧約聖書」に記されている「バベルの塔」の神話をご存じでしょうか。うん、知っている、オランダの画家ブリューゲルの絵で見たことがある、なかにはそんな新入生もおられることでしょう。

「バベルの塔」(ピーテル・ブリューゲル)

神話の内容とは次のようなものです。神は、人類の祖先であるノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むように命じました。しかし人々は、さまざまな技術を用いて天に届くほどの塔をつくり、自らが分散するのを免れようとします。これを見た神は、「人間は同じ言葉を話すことから、このようなことを始めた。人間の言語を乱して、互いに通じない言葉を話させるようにしよう」と言い、これを実行します。そのために人類は混乱し、塔の建設を諦めて世界各地へと散っていくことになりました。
さて、現代に生きる私たちは、この「神話」をどのように理解すればよいでしょう。一般に、「バベルの塔」の神話は、人類の驕りを戒める物語として理解されています。しかし、私は思うのです。人類が神の地位をうかがい、神にとって代わろうとする行為は、人類にとって宿命であり、避けがたいことなのだ、と。人類には、進歩とサバイバルという二つの本能が備わっています。進歩なくしてサバイバルはありえない、それが長い歴史のなかで人類が培った究極の知恵でもあります。そしてその二つの本能を後押ししてきたのが、知識の交換、すなわちコミュニケーション能力でした。旧約聖書が描く「バベルの塔」の建設を可能としたのも、同一の言語、普遍言語による知識の交換でした。しかし、「バベルの塔」は、あくまでも神話の世界の出来事です。現実に私たちは、母語という「ハンディ」を背負いつつ、「バベル後」の混乱を乗りこえ、AIやバイオテクノロジーに象徴される無限の可能性を手に入れるまでに発展を遂げたのでした。そしてこの奇跡的な発展を後押しした力の一つに、共通言語、普遍言語としての英語があったことは紛れもない事実なのです。
さて、私が今日ここで「バベルの塔」の神話を取り上げた理由について種明かしをしましょう。それはほかでもありません、世界全体を呑み込んでいるコロナウィルス禍です。すでに旧聞に属する話題となりましたが、ここで改めてダイヤモンド・プリンセス号の事件を思い起こしてほしいと思います。もはや説明するまでもないでしょうが、このクルーズ船にウィルス感染者が乗っていた事実が判明した後、乗員乗客あわせて三七一一人が、約ひと月にわたる横浜港での隔離を余儀なくされました。出港日の一月二十日時点で感染者は一人でしたが、三月一日に全員が下船を果たすまでに実に七〇五人の乗客が陽性と診断され、うち五名が死去しました。
私がここで注目するのは、このクルーズ船に五十六の国々の人々が乗りあわせていたという、まさに現代のグローバル社会を象徴するような事実です。最後の段階でクルーズ船にどんな混乱が生じていたかは想像もつきません。しかし乗員と乗客、あるいは医師と乗客の間で十分なコミュニケーションが図られなかったことは事実とみなしてよいでしょう。まさに「バベル後」の混乱に似ています。情報不足、コミュニケーション不足から多くの人々が死の恐怖に怯え、絶望に陥れられたのでした。
今、私の脳裏をこんな仮定がよぎります。仮に乗客と乗員のすべてが使用する言語が一つであったら、規律や統制という面からこれほどの罹患者を生むことはなかったのではないか。二十一世紀の現代に起きたこの事件には、今少し触れたグローバル時代の縮図と呼ぶべき一面が垣間見られるようです。まずクルーズ船そのものに、時代の豊かさの一つの究極の姿を見てとることができます。それは私自身もまた、生涯の終わりまでに一度は経験してみたいと願う豊かさです(多くの人々が、そんな豊かさを求めて、日々の仕事に励んでいるかもしれません)。そしてその豊かさを、五十六の国々の人々が、同一の時期に、同一の空間で経験していたという事実に注目するのです。言語や文化の違いを越えて、同じ船に乗り合わせた人々の多くが、レストランで、サロンで、あるいはデッキで友情を育み、知的な交流を楽しんだことでしょう。
しかし問題は、単に豊かさの享受だけでなく、不幸の経験もまた、多くの国、多くの地域の人々が、同じ場所で同時にこれを共有する運命にある、それがグローバル時代の特色でもあるということです。そして私が、今回の「事件」の一連の経緯から得ることのできた知見は、きわめて単純です。豊かさを求めるにせよ、不幸に対応するにせよ、グローバル社会に生きる私たちにとって外国語の学びは、恐ろしくリアルな意味を持ちはじめているということ。今回の事件では、医師と乗客、検疫官と乗客とのコミュニケーションを図るために多くの通訳が身を挺して現場に赴きました。医師に劣らぬ重要な役割が彼らに託されることになりました。むろん、人命救助は通訳本来の役割ではありません。ですが、外国語を学ぶことの重要さ、あるいはその社会的な意義を、これほどにも鮮烈なかたちで明らかにしてくれた事例を私は知りません。しかし問題はここからです。たとえば、皆さんと同世代の仲間たちには、大学で医学や看護を学んでいる人たちが少なからずいることでしょう。今回のような大規模な災厄はさておくとして、彼/彼女たちは、いずれ長い将来にわたって、人々の命を守るための仕事に従事することになります。他方、大学で外国語を学ぼうとする皆さんのうちの何人が、医学や看護の学びに課せられるのと同じような社会的使命を自覚できているでしょうか。私が今ここで強調したいのは、外国語の習得を、単なるビジネスツールや教養の一部としてとらえるだけではいけない、外国語の学びもまた医学や看護に劣らない高度に社会的なミッションを託されているということです。「バベルの塔」の神話は、たしかに一つの言語を介して神の地位を脅かそうという人類の驕りを戒める物語でした。しかし、それぞれの母語を背景として、さらに一つ二つと外国語の知識を積み上げ、それらを社会に役立てようという志のうちには、「バベル後」に生きる人類ならではの高い知性を見出すことができるように思います。新型コロナウィルスが蔓延し、世界の人々が殻に引きこもるなか、外国語を学ぶとは何かを考える格好のチャンスが生まれました。
世界を覆いつくしているパンデミックもいずれは終息し、国境を越えて人々の往来が始まることでしょう。パンデミックの下、恐怖と自己保存の本能から、各地で憎しみや差別が生じつつあることは知られる通りです。咳ひとつしただけの理由で、バスから引きずり降ろされた乗客の例もあります。海外では、自粛のストレスから家庭内暴力が増大しつつあると聞きます。しかし、パンデミックが終息し、平静を取り戻した暁には、多くの人々の心に、かならずや大きな精神的変貌が訪れるにちがいないと確信しています。ことによるとその時には、パンデミック前とは異なる新たなモラル、新たな価値観が生まれているかもしれません。そして同じ暁には、外国語や外国の文化を学ぶことの意味も一新され、そこによりいっそうリアルでかつ高い理想が求められることになるかもしれません。人々は、いつかどこかの段階で、必ず外国語の学びのもつ大切さに気づくはずなのです。なぜなら、パンデミックとともに世界各地で起こった差別や憎しみから人々を救い、平和的共生へと彼らを向かわせる最大の手立てが、じつは、皆さんひとり一人の外国語の学びのなかにこそあるからです。入学生のみなさん、どうか、新しい時代の「良心」となってください。そしてその標のもとに、どうか真の「大人」としての「成熟」をめざしてください。
さて、私たち名古屋外国語大学のキャンパスは、日進の小高い丘の上に建っています。お隣では、私たちの姉妹校であるNUAS(名古屋学芸大学)の学生たちが学んでいます。今日から四年間、NUFS(名古屋外国語大学)のみならず、お隣のNUASの学生たちとも切磋琢磨し合いながら、充実した学生生活を送ってほしいと願っています。
そして最後に胸に刻んでおいてほしいことが一つ。今日から、名古屋外国語大学は、皆さんの人生にとって、かけがえのない伴侶となるということ。皆さんのこれからの努力と将来における活躍によって、私たちの大学それ自体の輝きと未来もまた、日々、更新されるということ、私たち教職員一同も、そのことを胸に刻みつつ、皆さんのよりよき学生生活のために全力を尽くす所存です。
以上をもって、入学生へのメッセージといたします。
二〇二〇年四月一日       
名古屋外国語大学長  亀山 郁夫