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2024年度入学式が挙行されました



告辞

新入生の皆さん、改めて入学おめでとう。桜のつぼみも今日を待って一気に花開いた観があります。あまたある大学から本学を選んで下さった皆さんに、心からのお礼と歓迎の言葉を申し述べたいと思います。
皆さんは先ほど、私たち名古屋外大の式歌「ザ・ワールド・ウィズ・アス(世界は私たちとともに)」を初めて耳にすることになりました。日本でも有数の美しい旋律をもつと、私がひそかに自負する式歌です。

緑に萌ゆる 日進の地に/熱く耀く 白き学舎
健やかな理想を 胸に秘め/世界と生きる 志よ、 育て
ああ、 名古屋外大/光あれ
私は、緑に囲まれた白亜の学舎、日進キャンパスがとても好きです。いずれ皆さんにも、この美しい学舎が、四季折々のさまざまな陰影に照り映える姿を目にするときが来るでしょう。とりわけ早春、そして秋の夕暮れ時などは、見る人をほとんど神秘的とも言える気分に導いてくれます。そんな時、私は心のなかで呟いています。
ここはパワースポットだ、と。今、生きて、ここにあるという喜び、百年でも二百年でも生きたいという願いが同時に沸き起こって来る。
ところで、この式歌が作られたのは、今から六年前の二〇一八年、名古屋外大創立三十周年の記念すべき年のこと。孔子の言葉に倣えば、まさに「而立」の年。そしてそこには、私たちが目指すべき四つの目標が示されています。

世界と生きる 志よ、 育て/世界を結ぶ 知性よ、 育て
世界を渉る 勇気よ、 育て/地球を翔ける 夢よ、 育て
「ザ・ワールド・ウィズ・アス」の精神とは、まさにこれらの四つの志を総称したものなのです。
前置きはこれくらいにして、さっそく本題に入りましょう。皆さんは、「人生百年時代」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか。いや、ない、自分には関係ないし、興味がない、と即座に否定される新入生も少なくないと思います。「人生百年時代(The Era of the 100-year Life)」とは、平均寿命の飛躍的な伸びで、百歳の人生が当たり前になる時代の訪れを予測したイギリスの学者の言葉です。では、この百年の人生を、具体的にどうイメージすればよいか。仮に人の一生を一周四百メートルのトラックに喩えるなら、皆さんはまだ、第一コーナーにも差しかかっていません。ちなみに私は今年七十五歳を迎え、ちょうど最終コーナーをまわってホームストレッチに出たところです。第一コーナーにさしかかる皆さんの後ろ姿がかすかに見えるようです。ただし、私自身果たしてゴールに辿り着けるかどうかは保証の限りではありません。今日の告辞、祝辞は、そんな人生の大先輩からのアドバイスと受け止めて下さったら嬉しいです。
最近、よく考えることがあります。AIがもしこのまま革命的な進化を遂げ続けていったら、私たちの人生の謎はすべて解き明かされて、学問をする意味なども消えてしまうのではないか。返って来る答えはいつもこうです。人生の謎はなくならない、人間の数だけ、謎は残り続ける、と。なぜなら、人間は、人間として生を享け、その都度一からすべてを学びはじめるから、と。そしてやがて成長した人間の前には、これまでの人類が経験した歓び、苦しみが、まともに立ちはだかることになる。AIが決して予測できないもの。それは、偶然です。
一見したところ、日常生活の出来事はすべてが「必然」の糸に繋がれているかのようです。ところが、実のところ、私たちの人生の刻一刻が、偶然の危うい積み重ねから成り立っているのです。偶然とは、ある意味で落とし穴とも言えます。私たちが日々安定した暮らしを享受できるのも、ほとんど奇跡的と言っても過言ではありません。その事情は、いかにAIが進化しようと、変わることはありません。むろん、生命(いのち)のもつ輝きも、喜びも、悲しみも変わらない。そして私たちは心身ともに永遠に変わらざる存在として、それぞれに百年の生を全うする。つまり、約束された百年の人生を、それぞれがさまざまな偶然を乗り越えながら、生きていく。そこで、私は言いたいのです。人生百年の長さを信じ、決して急ぎすぎてはいけない、と! 急ぐと、偶然の恐ろしい牙に気づかなくなる。落とし穴が見えなくなる、と言いたいのです。そこでこれから「時の輝き」、「時の宝石」といった話題についてお話ししてみようと思うのです。
皆さんは、今日から、それぞれの学科に分かれ、まずは外国語や「教養」の学びを礎としつつ、人文学系から社会学系にわたるさまざまな専門的知識を積み上げていきます。むろん、課外活動の大切さもないがしろにはできません。しかし、大切なのは、学びの時間に、しっかりとメリハリをつけることです。ときにはルーティーンの日常から離れ、ふらりと旅に出てみるのもいいでしょう。幸い、私たちの大学には、日本でも有数の留学制度が存在します。ことによると、留学以上に大胆な時間の使い方はないかもしれません。しかし、じつは、身体の空間移動だけが旅、というわけではないのです。読書もまた、身体の空間移動に優るとも劣らない大いなる旅なのです。なぜなら、読書とは、時空を超えて未知の他者を受け入れるという、人間社会の基本を集約した営みだからです。多忙な人ほど本を読む、とよく耳にしますね。私がこれまで出会ってきた優れたビジネスパーソンの多くが、驚くほど知的に旺盛に読書経験を積んでいることがわかりました。これ読んだか、あれ読んだか、と尋ねてくるのです。むろんその少なからぬ部分は実用書ですが、時として、大学の研究者でもなかなか手が出せない人文学や社会学の一般書を手にとって読んでいる。つい最近、出会った若いビジネスパーソンが、イーロン・マスクの分厚い伝記を読んでいるのを見て正直驚かされました。ご存じのように、イーロン・マスクは「テスラ」や「X(旧ツイッター)」の創業者で知られる、グローバル経済が生んだ「ヒーロー」の一人です。社会的に問題視される発言も少なくないのですが、その青年は、怖気ることなくその人間の実像に迫り、何かを学びとろうとしている。その、彼の謙虚な執念に感動すら覚えました。
さて、ここに一冊の文庫本があります。これは、私たちの大学出版会が、今日の入学式に合わせて刊行したガイドブック『世界の長編小説40』です。その本の冒頭に、私はこんな前書きを寄せました。「時を輝きに代えて」と題する文章。一部を引用しましょう。
「光陰矢のごとし、というけれど、現実に時は無限の長さをもっている。少年老い易く、学成り難し、というけれど、希望や憧れを失わずにいる限り、私だって少年時代を謳歌できる。あるノーベル賞作家が書いている。『一瞬をうまく活用できない人間は、一時間でも、一日でも、一生をもいたずらに過ごすはめになる』と。
この作家がここで言う一瞬とは、私なりに解釈すると「二週間」です。なぜなら、ガイドブックが推奨する四十の長編小説の多くが二週間で読了できるからです。それらの読書をとおして、いや、人生という謎の解明を目指して経験された充実は、いつしか、永遠に曇ることのない「時の宝石」に変じることでしょう。私の人生において、その最初の「二週間」が訪れたのは、言い換えれば、私がその「時の宝石」を手に入れることができたのは、十五歳の八月のとき。
今も、六十年前の自分が瞼に浮かびます。十五歳の夏、子ども部屋の本棚に何冊も並べられた本のなかから、とくにこれといったきっかけもなく一冊の小説を取り出しました。父が、六人兄弟のために買いそろえてくれた『世界文学全集』の一冊です。その時、人生という謎の入口に立ったのです。二週間かかったその読書体験は、やがて私の血肉となり、一生の財産となり、文学を愛する未知の仲間たちの大きなコミュニティを形成し、小さいながらも私にとってはかけがえのない学会組織の誕生へと導いてくれました。しかし当時は何といっても十五歳ですから、今に言う、「コスパ」(コストパフォーマンス)とか、「タイパ」(タイムパフォーマンス)などという実利的な観念などまったく頭にはありません。そして高校受験のさなかに、この長編小説を読み終えたという事実が、その後の私に大きな自信となりました。どんなに分厚い本も見ても、ひるむことなく挑戦できるようになったのです。
今回、私たちの大学が刊行したこの文庫本は、あくまでもガイドブックです。そこには、紫式部の『源氏物語』から、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』、トールキンの『指輪物語』、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に至るまで、全40作品についての短いエッセーがずらりと並んでいます。まずはこのガイドブックを開き、少しでも気になる作品があったら図書館に行き、原作を手にとりましょう。そう、長編小説を征服する最良の手段は、最初の三十頁まで行ったところでもう一度、最初のページに引き返すことです。そこで物語の出発点を確認する。一生に一度の出会いであるなら、あわてないこと。十分にウォーミング、アイドリングに時間をかける。たとえ、中途で挫折してもよいのです。なぜなら、挫折は挫折で、じつは未来への一つの投資なのですから。若い時に挫折した記憶は、人生百年の第四コーナーあたりで、再挑戦の意欲を掻き立ててくれるでしょう。
人生は、健康であるかぎり、どんなに長くても喜びが枯れることはありません。喜びが足りないと感じるのは、そのための努力を惜しんでいるからです。「長編小説」は一例に過ぎません。大切なのは何より、孤独に自分と向き合う二週間、それはつかのまの遠い旅です。新入生の皆さん、時間のもつ可能性にもう一度思いを馳せながら、一つでも多くの「時の宝石」を手に入れるべく旅に出ましょう。入学したばかりの皆さんへの歓迎の辞に旅のススメ、ちょっとおかしいかもしれませんね。でも、皆さんの一人ひとりがその二週間の旅から戻ってきたとき、緑に囲まれたこの白亜のキャンパスは、以前にもまして美しく、いつになく力強い輝きを放っていることに気付くに違いありません。

名古屋外大、光あれ!

以上をもって学長の告辞と致します。
                                  2024年4月1日             
                                  名古屋外国語大学長       亀山 郁夫