告辞「世界戦争の時代に何を学ぶか」
新入生のみなさん、ご入学おめでとう。今、皆さんは、新しい門出に立ち、さまざまな夢や希望に大きく胸を膨らませているところだと思います。その姿は、少なくとも私の目には、眩しすぎるほどに輝いて見えます。そして皆さんは今、人生百年と呼ばれる長い時間の中に、新たな一歩を踏み出そうとしています。人生百年は、夢物語ではなく、ひとつの現実として私たちの前にあります。私は皆さんに、この長い人生を存分に謳歌してほしいと願っている。しかし実際、この百年の時の重みがどのようなものか、それを実感として語れる人はけっして多くありません。今日は、老いたる世代を代表し、また、人生の先輩というささやかな特権にあやかって、ひと言お話ししたいと思います。
さて、二〇二六年の幕が開けてから今日までの三か月間、私は、新入生の皆さんに贈る言葉を求めて、日々自問自答を重ねてきました。皆さんと私の年齢差は、半世紀以上あります。AIの理解一つとっても、知識の量では皆さんのほうがはるかに優れているはずです。そんな私が五十年という隔たりに長い言葉の橋をかける。正直申し上げて、かなり長い時間、思い悩みました。そして約二か月半を経てようやく一つの主題に辿り着きました。タイトルは、「世界戦争の時代に何を学ぶか」。この晴れやかな入学式の場には似つかわしくない、やや重いトピックとなることを、どうかお許しください。
さて、人類の祖、ホモ・サピエンスが出現して以来、約三十万年。その間、この地球上に生きた人間の数は、一一七〇億人に上ると推計されています。そして現在地球上には、約八十億人が生存しています。人類文明の礎は、すでにこの世界にはない無数の人々によって築かれました。彼らは、同時に、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、すべてのドラマをこの地球上で演じてきたのです。
入学式の告辞でいきなり人類史の話題を持ち出した理由、お分かりになりますか。多くがまだ、二十年弱の人生を生きただけの若い皆さんに、人間という存在の卑小さ、愚かさを見つめる視点を持ってほしいという願いがあるからです。そしてその卑小な人間が、人類が営々として築きあげた平和のシステムを根底から覆そうとしている。そしてその最たる帰結が、今私たちが直面している戦争という現実です。敵味方を問わず、独裁者の浅はかな幻想の犠牲となる無実の人々が哀れです。哲学者のバートランド・ラッセルが言っています。戦争とは、つねに、愚かさと驕りの産物だと。
事実として申し上げますが、戦後生まれの私にはむろん戦争の実体験はありません。ただし、戦争のもつ恐ろしさだけは、幼い頃から映像や記録を通して、折にふれ記憶に焼き付けてきました。
事実として申し上げますが、戦後生まれの私にはむろん戦争の実体験はありません。ただし、戦争のもつ恐ろしさだけは、幼い頃から映像や記録を通して、折にふれ記憶に焼き付けてきました。
話は、一九六二年に遡ります。その年の十月、かつての超大国ソビエト連邦とアメリカとの間で核戦争の危機が生じました。「キューバ危機」の名で知られる世界史的な大事件です。当時小学生だった私は、布団にくるまり、茶の間のテレビから流れてくるニュースに、一人、体を震わせていました。もし戦争になれば、大好きな母と永遠に別れなければならない、深刻にそう考えたのです。それから六十年余、母はすでになく、母を失う恐怖に怯えることもむろんありません。しかし今、この瞬間にも、世界のどこかでは、かつての私と同じように、愛する人との別れに怯え、震えている子どもたちが存在するのです。
では、小学生の私が核戦争の恐怖にこれほどにも敏感に反応した背景には、何があったのでしょうか。「キューバ危機」に二年先立つ一九六〇年のことです。ある日、私は、小学校の図書館で、ヒロシマの原爆写真集を手にしました。「見てはいけないものを見た」――私はとっさにそう思いました。しかし好奇心を抑えきれず、翌週、私は再び図書館に足を運んだのです。
それ以来、「原爆」という言葉を口にすることそれ自体が私の中で一種のタブーと化し、その記憶が、平和を願う心の原点となったのです。そして今、改めて思うことがあるのです。世界大戦終結から七十年以上もの時を経ながら、結局、人類は何も学ばなかった、いえ、学びを忘れてしまった、と。そればかりか人類は、自分の手ではもはやコントロールできない次元に半ば自暴自棄的に踏み込もうとしている。人類の誇りである科学技術は、完全に諸刃の剣と化しました。近年、注目を浴びているドローン兵器もその象徴です。かつて秘境に分け入り、奥深い自然の美しさを映し出したビデオカメラが、今やコストパフォーマンスに優れた殺人マシーンに変貌している。
では、小学生の私が核戦争の恐怖にこれほどにも敏感に反応した背景には、何があったのでしょうか。「キューバ危機」に二年先立つ一九六〇年のことです。ある日、私は、小学校の図書館で、ヒロシマの原爆写真集を手にしました。「見てはいけないものを見た」――私はとっさにそう思いました。しかし好奇心を抑えきれず、翌週、私は再び図書館に足を運んだのです。
それ以来、「原爆」という言葉を口にすることそれ自体が私の中で一種のタブーと化し、その記憶が、平和を願う心の原点となったのです。そして今、改めて思うことがあるのです。世界大戦終結から七十年以上もの時を経ながら、結局、人類は何も学ばなかった、いえ、学びを忘れてしまった、と。そればかりか人類は、自分の手ではもはやコントロールできない次元に半ば自暴自棄的に踏み込もうとしている。人類の誇りである科学技術は、完全に諸刃の剣と化しました。近年、注目を浴びているドローン兵器もその象徴です。かつて秘境に分け入り、奥深い自然の美しさを映し出したビデオカメラが、今やコストパフォーマンスに優れた殺人マシーンに変貌している。
しかし、それ以上に恐しいのは、私たち自身の感覚の鈍化です。過剰な映像や情報にさらされるなかで、恐怖も驚きも次第に麻痺していく。テレビのニュースで紹介される犠牲者もしばしば統計上の数値として処理されています。今、イラン南部でミサイルの犠牲者となった一七〇名以上の女子生徒たちのことを思い返している人が、果たして何人いるでしょうか。まさにここにこそ現代の危機があると感じるのです。
では、どうすれば、人間が人間として本来のあるべき姿をとり戻すことができるのでしょうか。戦争体験者が体験を語り継ぐのも、むろん一つの手立てであることはまちがいありません。しかしそれを真摯に、リアルな感性で受け止める力が、今の皆さんのうちにどれだけ残されているか、ということです。私は大いに不安を覚えます。
その問いに対する答えは、一つです。一人ひとりが、みずからの自覚と責任において、戦争のいわば対極にある「生命(いのち)の感覚」を研ぎ済ますこと。「生命(いのち)の感覚」とは、とりもなおさず生きる喜びです。生命(いのち)の源泉である喜びに触れることのない百年の人生に、どのような意味があるというのでしょうか。目が曇らされないように、耳が聾されないように、五感を介して、一つひとつの喜びを受け止め、記憶のなかに蓄積していかなくてはなりません。それが、人間が生きるということの意味だと私は信じています。喜びの源泉は、むろん特定の文化や形式に限定されるものではありません。音楽であれ、映画であれ、スポーツであれ、学問的営みであれ、それに携わる者の心には、苦しみだけでなく、必ず生きる喜びが息づいている。そして、何らかの高い目標に向かって懸命に努力する人間こそが、「生命の感覚」をもっとも鮮やかに体現する存在といえるのです。私が長く翻訳に携わってきたある小説家は、言いました。
「美が世界を救う(Мир спасет красота. Beauty will save the world.)」
では、どうすれば、人間が人間として本来のあるべき姿をとり戻すことができるのでしょうか。戦争体験者が体験を語り継ぐのも、むろん一つの手立てであることはまちがいありません。しかしそれを真摯に、リアルな感性で受け止める力が、今の皆さんのうちにどれだけ残されているか、ということです。私は大いに不安を覚えます。
その問いに対する答えは、一つです。一人ひとりが、みずからの自覚と責任において、戦争のいわば対極にある「生命(いのち)の感覚」を研ぎ済ますこと。「生命(いのち)の感覚」とは、とりもなおさず生きる喜びです。生命(いのち)の源泉である喜びに触れることのない百年の人生に、どのような意味があるというのでしょうか。目が曇らされないように、耳が聾されないように、五感を介して、一つひとつの喜びを受け止め、記憶のなかに蓄積していかなくてはなりません。それが、人間が生きるということの意味だと私は信じています。喜びの源泉は、むろん特定の文化や形式に限定されるものではありません。音楽であれ、映画であれ、スポーツであれ、学問的営みであれ、それに携わる者の心には、苦しみだけでなく、必ず生きる喜びが息づいている。そして、何らかの高い目標に向かって懸命に努力する人間こそが、「生命の感覚」をもっとも鮮やかに体現する存在といえるのです。私が長く翻訳に携わってきたある小説家は、言いました。
「美が世界を救う(Мир спасет красота. Beauty will save the world.)」
この言葉が伝えようとしているのは、決して観念的な理想ではありません。人間の営みそのものに対する深い信頼の表明です。これを、私は、「喜びが世界を救う」と言い換えたいのです。
戦後まもない一九四九年に生まれてからこれまで、ひたすら欧米の文化に憧れ、ほとんどそれだけを美の見本、美の基準としてきた私ですが、七十七歳にしてついに「開眼」しました。地下鉄東山線星ヶ丘駅前の三越にある映画館で今話題の映画『国宝』を観たときのことです。三時間、私はスクリーンに釘付けとなりました。稀代の歌舞伎役者を演じる吉沢亮さんの演技に圧倒されました。まさに神がかりという形容詞がぴったりくる迫真の演技を目にすると同時に、日本文化の真髄に触れたような気がしたのです。それは、実りある大きな学びでした。上映時間はわずか三時間ですが、それが七十七年間の長い年月をかけて蓄積された私の価値観を大きく覆したのです。一年半に及んだ撮影期間を振り返りながら、吉沢さんは、次のように述べていました。
「精神的にものすごく過酷だった」
戦後まもない一九四九年に生まれてからこれまで、ひたすら欧米の文化に憧れ、ほとんどそれだけを美の見本、美の基準としてきた私ですが、七十七歳にしてついに「開眼」しました。地下鉄東山線星ヶ丘駅前の三越にある映画館で今話題の映画『国宝』を観たときのことです。三時間、私はスクリーンに釘付けとなりました。稀代の歌舞伎役者を演じる吉沢亮さんの演技に圧倒されました。まさに神がかりという形容詞がぴったりくる迫真の演技を目にすると同時に、日本文化の真髄に触れたような気がしたのです。それは、実りある大きな学びでした。上映時間はわずか三時間ですが、それが七十七年間の長い年月をかけて蓄積された私の価値観を大きく覆したのです。一年半に及んだ撮影期間を振り返りながら、吉沢さんは、次のように述べていました。
「精神的にものすごく過酷だった」
「ものすごく過酷だった」――。この「過酷」という言葉を読み過ごしてはいけません。私の目に、吉沢さんの極限的な演技は、まさに「生命の感覚」の、「喜びの感覚」の、そして「美の感覚」の結晶だったからです。私が、七十七歳にしてついに「開眼」と述べたのは、まさにその意味でした。しかし、その日の体験は、「開眼」に留まることはありませんでした。私は発見したのです。何を? 単純な真実です。
その日、映画館の暗闇に身を沈めながら、私は何度も呟いていました。私が今、こうして『国宝』を通して喜びの感覚に浸りきれるのは、まさにそれを保証する平安が、ここにあるからなのだ。戦時下の国々では得られない、絶対的といってもよい平安が。つまり私たち人間にとって平安とは、人間が自分の人生を全うするための絶対条件そのものなのだ、と。私が久しく求めていた告辞のテーマに辿りついたのは、まさにこの瞬間でした。この感動を、新入生に伝えよう。そして、私たちがなぜ平和を愛さなくてならないか、その理由を伝えようと。結論から述べたいと思います。
私たちには平和を守る義務がある。隣人の平安のために、日本の平安のために、そして世界の人々の安心立命のために。また、それは自分を守るためでもあります。では、どうやってそのための手段を探り当てることができるのか。それこそが、「生命(いのち)の感覚」を、「喜びの感覚」を、「美の感覚」を研ぎ澄ますことの意味なのだ、と。どうやら、話は堂々巡りの観を呈してきました。ゴールが近づいたようです。
その日、映画館の暗闇に身を沈めながら、私は何度も呟いていました。私が今、こうして『国宝』を通して喜びの感覚に浸りきれるのは、まさにそれを保証する平安が、ここにあるからなのだ。戦時下の国々では得られない、絶対的といってもよい平安が。つまり私たち人間にとって平安とは、人間が自分の人生を全うするための絶対条件そのものなのだ、と。私が久しく求めていた告辞のテーマに辿りついたのは、まさにこの瞬間でした。この感動を、新入生に伝えよう。そして、私たちがなぜ平和を愛さなくてならないか、その理由を伝えようと。結論から述べたいと思います。
私たちには平和を守る義務がある。隣人の平安のために、日本の平安のために、そして世界の人々の安心立命のために。また、それは自分を守るためでもあります。では、どうやってそのための手段を探り当てることができるのか。それこそが、「生命(いのち)の感覚」を、「喜びの感覚」を、「美の感覚」を研ぎ澄ますことの意味なのだ、と。どうやら、話は堂々巡りの観を呈してきました。ゴールが近づいたようです。
皆さんのこれからの四年間は、贅沢でかつかけがえのない学びの時間です。皆さんがこれから積み重ねていく努力が、たんなる自己研鑽に留まらず、世界のどこかで苦しむ人々に平安をもたらす力となることを心から願っています。いつしかその努力が実り、イラン高原のオアシスに、突如、「歌舞伎」の舞台が出現する時が訪れるかもしれません。むろんこれは、一つの比喩、一つの夢に過ぎませんが、国境や宗教の壁を越え、人と人を結びつける絆となるのは、文化の力しかない、と私はそう固く信じているのです。World with US. (「世界は私たちとともに」)これが私たち、名古屋外国語大学の標語です。そして、World Human resources (「世界人材」)、これが私たちがみなさんに託す理想的な学生像です。
どうか、これら二つの標語を意識しながら学んでください。そして人生という名の「芸術作品」の完成をめざし、一歩、一歩、着実な歩みを続けてください。
皆さんの前途に、心からの祝福を贈ります。
どうか、これら二つの標語を意識しながら学んでください。そして人生という名の「芸術作品」の完成をめざし、一歩、一歩、着実な歩みを続けてください。
皆さんの前途に、心からの祝福を贈ります。
2026年4月1日
名古屋外国語大学長 亀山 郁夫
名古屋外国語大学長 亀山 郁夫
