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2023年度入学式が挙行されました



告辞

皆さん、ご入学おめでとう。今日のこの良き日にあたり、私からひと言、歓迎の辞を述べたいと思います。

皆さんは、私たち名古屋外国語大学の公式ウエブサイトをご覧になったことがあるでしょうか。そのトップページには、朝日を浴びた地球とその背後に広がる広大な紺碧の宇宙をバックに、私たちの大学の標語「ザ・ワールド・ウィズ・アス(The World with Us)」が白ヌキのアルファベットで記されています。「世界は、わたしたちとともに」の意味ですね。ただし、「わたしたち」の「アス(Us)」の部分のみは、赤字で示されています。このデザインと標語が採用された当初、私の頭のなかで、新しい時代の門出を飾るに相応しい音楽が鳴り響いていました。ご存じでしょうか、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』の冒頭部分です。
その一部を少しお聴き頂きたいのです。
テレビのコマーシャル等でもしばしば使われる音楽ですから、ああ、聴いたことがある、と思われた方も少なくないでしょう。一度聴いたら忘れられない、壮大で、壮麗で、何かが始まるぞ、というワクワク感あふれる音楽。でも、疑問を持たれたにちがいありません。「ツァラトゥストラって何、だれ?」じつは、この素朴な疑問が、学びの第一歩となるのです。この交響詩に描かれた物語の原作者は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ。その冒頭で、未来の予言者ツァラトゥストラが、昇る太陽に向かって次のように語りかける言葉がよく知られています。
「君よ、大いなる星よ! いったい君の幸福もなにものであろうか、もしも君に、ひかり照らす相手がいなかったなら!」

さて、今、皆さんがお聴きになった音楽は、その後、スタンリー・キューブリックという映画監督によるアメリカ映画『二〇〇一年宇宙の旅』のオープニングの音楽として使われ、世界的に知られるようになりました。そしてこの「二〇〇一年」という言葉は、二十世紀に生まれた私にとって、たとえば、「新ミレニアム」という言葉が示すとおり、二十世紀とはまったく次元を異にする希望の世紀の訪れのように受け止められることになるのです。ところが実際その年に起こったのは、世界の耳目を揺るがした9.11事件、すなわちアメリカ同時多発テロ事件でした。皆さんが生まれる五年ほど前の世界史的な事件です。
「The World with Us」のひと言から連想が広がりました。
さて、「世界はわたしたちとともに」の標語、これを公式ウエブサイトに掲示してから、ほぼ五年が経過しました。私たちは、この標語を介して、世界と私たちは強い絆で結ばれている、世界は、私たちとともに前に進む、世界は、私たちの支えがあってこそ世界として持続していける、そんな強い自負と自信の表明にしたいと考えました。そして今日、この入学式の告辞でこの標語を取り上げた目的は、名古屋外国語大学で学ぶ決心をされた皆さんに、自分の殻に閉じこもるな、世界に目を向けよ、という切なるメッセージを伝えることにあるのです。先ほど、二〇〇一年の9.11事件に触れましたが、本学に学ぶ一人として、もはや「9.11って何?」などと、呑気に構えていることは許されません。なぜなら世界はいま、この9.11事件をはるかに凌ぐ悲劇に直面しつつあるからです。
みなさんも、きっとご存じだと思います。今年一月、アメリカの原子力科学者会議が発表した「世界終末時計」は、人類滅亡までのカウントダウン残り時間を「九十秒」に改訂しました。三年ぶりの変更。ロシアのウクライナ侵攻における核使用の危機と気候変動がその大きな要因ですが、私たち日本に住んでいるほとんどの人々は、そうした世界の状況がはらむ危うさに無頓着であるように思えます。たしかに、皆さんにとって第一の関心は、自分であり、自分の将来です。自分の将来に勝る価値のあるものなど何もない、というのが本心であり、本音でしょう。
しかし現実は、そうした皆さんの思いをそのまま受け入れてくれるほど生易しくはありません。自分の将来を決めるのは、一見、自分の主体性そのものであるかに見えるのですが、その実、皆さんの将来を決めているのは、世界なのです。この実感を、だれよりも強く感じつつ大学を後にしたのが、今年三月の卒業生だったかもしれません。しかし、新入生の皆さんにこれからのしかかる世界の力もまたますます強くなる一方です。少し厳しい言い方をすれば、世界はますます気まぐれに私たちの人生を翻弄していくということです。戦争や自然災害ばかりではありません。今年からにわかに注目を集めつつあるChatGPTもそうです。こうした状況のなかで、その力に抵抗して、あるいは和合しつつ自分の道を切り開くすべは何か。少し抽象的に響くでしょうが、私の答えを聞いてください。一、皆さんの前で生じている世界と日本の動向を観察し、何が真実で、何が嘘か、その境界線にしっかりと目を光らせること、二、孤立や孤独をおそれず、自分の日々の暮らしをコントロールすること、三、情報テクノロジーの進化に遅れないようにすること。そして四、自分の弱さをどれほど感じようと、世界に対して自分には自分なりの責任がある、という自覚を忘れないこと。
さて、今日のこの告辞を構想するなかで、私はたまたまネット上で興味深い一冊の本を知りました。二〇〇七年にアメリカで出版され、その年のノンフィクション部門一位となった『The World Without Us』という本です。意味はおわかりでしょう。もしも人類がいま突然、消滅したら、この地球には、いったいどんな変化が生じるだろうか、いわばその未来を予測する本です。そして過去に地球上に人類が存在していたことを示す証として、次のものが挙げられていきます。
一、放射性廃棄物、二、ブロンズ像、三、プラスチック…… 五百年後、私たちの住宅地は、すっぽりと森に覆われ、人間との共生によってしか生きのびられないゴキブリやネズミはたちどころにいなくなると予言されています。
 『The World Without Us』という本は、私たち人類の営みが、いかに永続性を欠いたものか、そして私たちの存在それ自体が、いかに刹那的で、はかないものであるかを教えてくれます。地球それ自体は、人類という厄介な荷物を背中から降ろし、本来の健康とリズムを取り戻して、この宇宙空間を静かに、優雅に浮遊しつづけるかもしれません。しかし、現実には私たちは、この地球上から消えてなくならず、しかも肝心の人間社会そのものが危機に瀕している。そこに問題があるのです。この地球上に生きてある限り、私たちは、人間同士、あるいは自然との共生を実現することなく生きのびることはできません。にもかかわらず、この地球上から破壊と貧困が絶えることがない。そうした現状を、私たちの力でどう変えていくのか。それが、「The World with Us」に託された基本的ミッションというべきものです。そしてその精神は、皆さんがすでに高校でも学んだ「持続可能な開発目標(SDGs)」(Sustainable Development Goals)が掲げる「だれひとりとり残さない」という精神に深く通じています。
しかし反面、私の胸の内から一抹の懸念がどうしても去りません。SDGsが、強い人間による、弱い人々の救済、お金持ちの人々による、貧しい人々への施しと化しつつあるのではないか。大切なパートナーシップ、相互依存、相互扶助という関係性が忘れ去られているのではないか。めぐり巡って私たち自身が「とり残される」時が来るかもしれない、という事実に、気づいていないのではないか。つまり懸念とは、SDGsの目標がたんに現実的な手段の追求にのみ留まることへの危惧なのです。どのような自己犠牲的な営みも、その精神、その心を失ってしまえば、たんなるルーティーンと化し、強い人間、お金持ちの人間にありがちな傲りを生むことになります。そこで、SDGsのいわば根本精神に通じる言葉を、そして、私たちの大学の、いわば「存在理由」とでもいうべき精神を伝える言葉を、新入生の皆さんにプレゼントしたいと思うのです。それは、『星の王子さま』の作者で知られるフランスの作家サン゠テグジュペリが残した次の文章です。
「人間であるということ、それはとりもなおさず、責任を持つということだ。自分のせいではないと思えていた貧困を前にしてそのことを恥ずかしいと感じ、仲間たちが勝ちとった勝利もこれを誇りに思うこと、自分に見合った石を一つ前に積んで世界の建設に貢献していると感じること」(『人間の土地』)
SDGsの精神は、そして、「ザ・ワールド・ウィズ・アス」の精神は、サン゠テグジュペリからのこの引用に尽きるといっても過言ではありません。貧困に苦しむ人々の姿を見て、それを自分の恥、自分の責任だと感じる想像力の奥深さ、友だちの成功をたんに羨むのではなく、それをわが事として喜ぶことのできる寛容さ、寛大さ。そして何より大切なのが最後の一行です。「自分に見合った石を一つ前に積んで世界の建設に貢献していると感じること」。では、どうすれば、何をすれば、世界の建設に貢献できるのか。解答のヒントが、「自分に見合った石」にある以上、答えは皆さんの一人ひとりがその石を探しださなければなりません。しかしいずれにせよ、すべての出発点となるのが、世界の不幸に目を向ける勇気を持つことです。それこそが名古屋外国語大学で学ぶ決心をされた皆さんに課されたミッションなのだと心得てください。前かがみになってスマートフォンにばかり気を取られてはいけません。いえ、スマートフォンに目を向けるときも、常にその小さな画面を介して、世界の奥行きを、世界の三次元性を意識してほしい。そして常に、自分に何ができるかを考えてほしい。心さえあれば、志さえあれば、そして願わくは、同じパートナーシップで結ばれた人々との助け合いがあれば、たとえその石がどんなにちっぽけな石でも、いずれは思いもかけぬ巨大な礎石として私たちの前に姿を現すにちがいありません。
                                  2023年4月1日             
                                  名古屋外国語大学長       亀山 郁夫