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小嶋 沙絵さん



わたしのフランス留学
2015年8月上空、フランス行きの飛行機に不安50%ワクワク50%の気持ちで私は乗っていた。名古屋外国語大学に入って初めて学んだフランス語。
一年生の頃から留学を目指して毎日勉強した。そして学科の先生方や友達に助けられながら上達してきたフランス語。はたして現地では私の話す事がどれだけ通じるのだろう?思い返せばワクワクの方が大きかったのかもしれない。

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外国語学部 フランス語学科4年
小嶋 沙絵さん

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思っていたよりも随分早く、早朝5時、私はパリ=シャルル・ド・ゴール空港に到着した。あちらこちらで聞こえるフランス語が新鮮だった。

様々な手続きを終え、目指すは留学先であるグルノーブル。パリから南東に約600キロ、TGV(フランスの高速列車)では3時間で着くアルプスの麓にある街である。ところがTGVのホームに向かう途中、ちょっとしたトラブルが起こった。なんと30キロ超えのスーツケースを2つ持った私は、エスカレーターにうまく乗れなかったのである。そこで現れたフランス人のおじいさん2人が、「手伝うよ。こんなに大きな荷物、どこから来たの?」と話しかけてくれた。ホームでも彼らと少し話をした。「グルノーブルでの勉強頑張ってね。素晴らしい一年を願ってるよ。」フランスに着いて早々、私はフランス人の大きな優しさに触れることができた。

待ちに待った夢のフランス留学。勉強もたくさんして、友達もたくさん作って、楽しもう!自然にあふれたグルノーブルで、私は本当に素敵な一年が過ごすことができたと思う。

勉強

もちろん大学の代表として交換留学をしている以上、今までよりもたくさん勉強し、学ぶ事も多かった。グルノーブルはあまり日本人がいないため、大学以外のほとんどの生活でもフランス語を話せるので、非常にいい環境だったと思う。

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フランスでは自分の意見をしっかりと持ち、それを相手に発信しなければならない場面が増えた。授業では日本とは比べほどにならないくらいディベートやディスカッション、プレゼンテーションをする。その中でも最も印象に残ったのが、現地の大学生と一緒に受けていたCivilisation(文明)の授業である。私は1年間で「フランス・日本でのLGBT」と「1972年の沖縄返還」についての大きなプレゼンテーションをした。日本に興味のあるフランス人学生2人とグループを組み、何度も集まって話し合った。日本に関するテーマなのでもちろん日本語の資料が多く、彼らにそれをフランス語で説明するのにかなり苦労した。

そこで改めて自分のフランス語が追いついていないことを実感した。しかし一生懸命伝えようとする私の姿勢に彼らも真剣に応えてくれ、一緒に専門的な語彙を調べたり、テーマに関する映画を見るなどして理解を深めた。そしてプレゼンテーションは大成功、教授からも「よく頑張ったね。」とお褒めの言葉をいただいた。グループを組んだ友人からも「君はよく頑張っていたし、フランス語も本当に上手になった。ありがとう!」と言われて涙が出そうなほど嬉しかった。これは苦しくもあり嬉しくもあった思い出の一つである。

私が一番好きだったのが「グルノーブルの歴史」という授業で、恐らくグルノーブルの大学でしか受けられない非常に魅力に溢れた授業であった。教授とグルノーブル中にある美術館を巡ったり、グルノーブルの歴史についてディベートをした。
皆さんは「フランス革命」と聞いてどんなことを思い浮かべるのだろう?パリ、アンシャン・レジーム、バスティーユ襲撃、、、。もちろん私も以前はこの様なイメージを持っていた。しかし、今ではそこに「グルノーブル」「屋根瓦の日」が加わった。実はフランス革命の発端の一つにこのグルノーブルで起きた※屋根瓦の日が関係していたのである。グルノーブルのヴィジール城の中には「フランス革命美術館」なるものが存在し、私はそこで初めて知ったのである(それ以来私はその美術館に5回ほど通った)。

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勉強に関してはここには書ききれない程苦労した。特にプレゼンテーションやレジュメ、レポートが多かった(文法や翻訳の授業もかなりレベルが高かった)。しかしフランス人の友達や寮に住む友達、大学の教授にいつも助けられた。そして私は勉強以上に人の温かさやもっと大切な事を学んだように思える。

※屋根瓦の日・・・1788年5月10日、グルノーブルの高等法院も国王に反発すると、王はパリ高等法院を閉鎖させ、軍隊を出動させた。6月8日、市民はこれに反発して城門を閉め、家の屋根から手当たり次第石や瓦を軍隊に投げつけた。この勢いに軍隊は撤去し、これを「屋根瓦の日」と呼ぶ。この「屋根瓦の日」に参加した市民には、後の革命を引っ張っていくムーニエやバルナーヴもいた。

生活

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では勉強以外はどうだったのか。私は大学近くの学生寮に住んでおり、共同キッチンであったためたくさんの友達ができた。ほぼ毎日キッチンで会ったり、一緒にスーパーに買い物に行くので、大学は違っても仲が良かった。多国籍の料理を食べる機会もあり非常にいい経験ができた(インド人の友人は毎日違う種類のカレーを作っていたし、イタリア人の友人はパスタばかり食べていた)。もちろん寮にはフランス人やフランス語圏から来た学生も多かったので、よく勉強や手続きのやり方などを教えてもらっていた。

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誕生日にはパーティをして、時には私が日本食(肉じゃがが人気だった)を振舞い、充実した時間が過ごせた。
グルノーブル大学の日本語学科の学生との交流も盛んで、週に一度はみんなでピクニックに行き、たわいもない話で盛り上がった。グルノーブルのランドマークであるバスティーユやハイキングにもよく行き、年越しも日本語学科の友達と過ごした。今思うとそれは本当に貴重な時間で、彼らはこれからも私にとってかけがえのない存在である。

最後に

私は名古屋外国語大学に入学して、自分の想像を超える経験をすることが出来た。留学先では、人とのつながりの大切さを学んだ。今までの表面的な外国語での会話ではなく、語学をツールとして使い中身のある会話ができた。だからこそ、本当の友達が世界中にいて、彼らとつながっている事を嬉しく思う。