「革命を考える」をテーマに、センター長の亀山学長からお話を伺いました。
セミナー概要
今年2017年が、20世紀の運命を決したとも言えるロシア革命から数えてちょうど100年になる。かつてのソ連、アメリカによる二極体制が、ソ連の崩壊とともにアメリカの一極体制へと変わった。そしてその資本主義体制をとるアメリカ一極体制はやがてグローバリゼーションを生みだした。
では、失われたもう一つの大陸の約70年間の歴史とは何だったのか。今回のセミナーではロシアの革命の歴史を学びつつ、“霊性”という言葉をキーワードにロシアとはなにかを考えた。
そもそも1917年に起きたロシア革命の始まりは、それ以前の100年にみることもできる。1812年のナポレオン戦争時、当時のロシアは人口の10%の貴族と90%の農奴によって成り立ち、完全に二極化されていた。そのような状況下で、ロシア軍の将校たちはナポレオンを駆逐し追いかけた先のヨーロッパで西洋文明に触れ、自国の後進性に衝撃を覚えた。そして帰国した後、社会改革を興そうと救済同盟(福祉同盟)を結成。そしてその同盟に関わった人々が1825年にデカブリストの乱を起こした。さらにその24年後の1849年、最終的には帝政ロシアの打倒をも目指そうとペトラシェフスキー事件が起こった。このようなパラダイムの変換(体制全体がひっくり返ること)を目論んだ数々の事件の中でも特徴的なのが、1861年のアレクサンドル2世による農奴解放である。なぜなら、帝政ロシアにおける資本主義体制の出発点ともみることができるからだ。農奴解放によりプロレタリアートが生まれ、一部の人々が都市に出向き、安い賃金で働き、商品を生産していったのである。しかし実際には、その貧しさゆえに犯罪、売春、窃盗などが増えその政策は不徹底なままに終わってしまった。そのためこのような状況下では、ある程度の自由や民主化を与えられたロシア人はかえって混乱をきたし、強力なロシア皇帝の支配のもとにいた方が安定するのだと考える人も少なくなかった。
そして、1904年には日露戦争が勃発し、それに誘発される形で1905年に血の日曜日事件(第一次ロシア革命)が起こった。同じ構図で、1917年の第二次ロシア革命も第一次世界大戦に対する国民の不満により起きた。戦争によって国民の不満が高まり国家が揺らいでいたことが伺える。このような状況下でロシア社会民主労働党(ボリシェヴィキ)を組織し、それを率いたのがレーニンである。レーニンは「すべての権力をソヴィエトへ」と四月テーゼを唱え、労働者と農民による組織体を構成した。そのためこの時期は、ロシア革命後に生まれた臨時政府と、レーニンらに組織されたボリシェヴィキの二重権力構造になっていた。しかし、第一次世界大戦からの離脱を表明したレーニンは民衆の支持を得るが、労働者と農民の対立が起こるなど難しい状況へと迫られた。そして1918年の憲法制定会議の開会とともに労働者を中心とするボリシェヴィキと、農民主体のエスエル党の間の内戦が起き、1918年~1921年までの3年半の内戦で失われた人命250万人、テロルによる犠牲者200万人、飢饉、疫病による死者600万人、加えて、亡命者200万人となった。内戦時の死者は合計で、1050万人に上りロシアの産業は壊滅状態にあった。私的所有を認めなかったために農民の不満が高まると、レーニンは1921年にネップ(新経済政策)を主導し、部分的に市場経済を導入した。そのおかげで農民たちは一定程度の穀物を自身の裁量で販売できるようになった。つまり、資本主義体制への部分的な変換を行ったのだ。そしてその3年後にロシア革命を遂行し、ソヴィエト社会主義を作り出したレーニンは死を迎えることとなる。
次に、ロシアとは何かという問いに対してだが、上記で述べたようなロシアでの革命や、ソ連の歴史を追及してもロシア、ないしはロシア人の精神性がどのようなものであるかは分かりえない。ロシア理解の根底には不可知性があり、分かりえない理由の一つに“霊性”がある。霊性とは、人間関係におのずと生じさせる共同体感覚である。幾度と革命を起こすロシア人のメンタリティには、絶対的な存在の下、精神的な共同性がある。1917年のロシア革命を見るならば、そこにはレーニンに対する霊的な共同性が生まれた。また、1861年のアレクサンドル2世による農奴解放後にも伺えるように、自由が与えられ、資本主義的な体制を築くと混乱をきたす。ロシアという国は絶対的な支配者の下に安定が生まれる傾向があり、幸福のロシア的基準とは、貧しい平等であるのかもしれないとも考えられる。しかし19世紀ロシアの詩人、フュードル・チュッチェフは自身の詩で、「知によってロシアは分からない。一般的な尺度で測ることができない。ロシアは独特の姿をしている。ただ信じることができるのみ。」と綴っている。つまり、ロシアとは知恵や理性、言葉ではなく、魂によって経験することを通してしか分からないのである。
(現代国際学部 国際教養学科1年 間渕裕也)
では、失われたもう一つの大陸の約70年間の歴史とは何だったのか。今回のセミナーではロシアの革命の歴史を学びつつ、“霊性”という言葉をキーワードにロシアとはなにかを考えた。
そもそも1917年に起きたロシア革命の始まりは、それ以前の100年にみることもできる。1812年のナポレオン戦争時、当時のロシアは人口の10%の貴族と90%の農奴によって成り立ち、完全に二極化されていた。そのような状況下で、ロシア軍の将校たちはナポレオンを駆逐し追いかけた先のヨーロッパで西洋文明に触れ、自国の後進性に衝撃を覚えた。そして帰国した後、社会改革を興そうと救済同盟(福祉同盟)を結成。そしてその同盟に関わった人々が1825年にデカブリストの乱を起こした。さらにその24年後の1849年、最終的には帝政ロシアの打倒をも目指そうとペトラシェフスキー事件が起こった。このようなパラダイムの変換(体制全体がひっくり返ること)を目論んだ数々の事件の中でも特徴的なのが、1861年のアレクサンドル2世による農奴解放である。なぜなら、帝政ロシアにおける資本主義体制の出発点ともみることができるからだ。農奴解放によりプロレタリアートが生まれ、一部の人々が都市に出向き、安い賃金で働き、商品を生産していったのである。しかし実際には、その貧しさゆえに犯罪、売春、窃盗などが増えその政策は不徹底なままに終わってしまった。そのためこのような状況下では、ある程度の自由や民主化を与えられたロシア人はかえって混乱をきたし、強力なロシア皇帝の支配のもとにいた方が安定するのだと考える人も少なくなかった。
そして、1904年には日露戦争が勃発し、それに誘発される形で1905年に血の日曜日事件(第一次ロシア革命)が起こった。同じ構図で、1917年の第二次ロシア革命も第一次世界大戦に対する国民の不満により起きた。戦争によって国民の不満が高まり国家が揺らいでいたことが伺える。このような状況下でロシア社会民主労働党(ボリシェヴィキ)を組織し、それを率いたのがレーニンである。レーニンは「すべての権力をソヴィエトへ」と四月テーゼを唱え、労働者と農民による組織体を構成した。そのためこの時期は、ロシア革命後に生まれた臨時政府と、レーニンらに組織されたボリシェヴィキの二重権力構造になっていた。しかし、第一次世界大戦からの離脱を表明したレーニンは民衆の支持を得るが、労働者と農民の対立が起こるなど難しい状況へと迫られた。そして1918年の憲法制定会議の開会とともに労働者を中心とするボリシェヴィキと、農民主体のエスエル党の間の内戦が起き、1918年~1921年までの3年半の内戦で失われた人命250万人、テロルによる犠牲者200万人、飢饉、疫病による死者600万人、加えて、亡命者200万人となった。内戦時の死者は合計で、1050万人に上りロシアの産業は壊滅状態にあった。私的所有を認めなかったために農民の不満が高まると、レーニンは1921年にネップ(新経済政策)を主導し、部分的に市場経済を導入した。そのおかげで農民たちは一定程度の穀物を自身の裁量で販売できるようになった。つまり、資本主義体制への部分的な変換を行ったのだ。そしてその3年後にロシア革命を遂行し、ソヴィエト社会主義を作り出したレーニンは死を迎えることとなる。
次に、ロシアとは何かという問いに対してだが、上記で述べたようなロシアでの革命や、ソ連の歴史を追及してもロシア、ないしはロシア人の精神性がどのようなものであるかは分かりえない。ロシア理解の根底には不可知性があり、分かりえない理由の一つに“霊性”がある。霊性とは、人間関係におのずと生じさせる共同体感覚である。幾度と革命を起こすロシア人のメンタリティには、絶対的な存在の下、精神的な共同性がある。1917年のロシア革命を見るならば、そこにはレーニンに対する霊的な共同性が生まれた。また、1861年のアレクサンドル2世による農奴解放後にも伺えるように、自由が与えられ、資本主義的な体制を築くと混乱をきたす。ロシアという国は絶対的な支配者の下に安定が生まれる傾向があり、幸福のロシア的基準とは、貧しい平等であるのかもしれないとも考えられる。しかし19世紀ロシアの詩人、フュードル・チュッチェフは自身の詩で、「知によってロシアは分からない。一般的な尺度で測ることができない。ロシアは独特の姿をしている。ただ信じることができるのみ。」と綴っている。つまり、ロシアとは知恵や理性、言葉ではなく、魂によって経験することを通してしか分からないのである。
(現代国際学部 国際教養学科1年 間渕裕也)
講座名 | 第3回 WLAC Students セミナー |
ゲスト | 亀山 郁夫(本学学長) |
日時 | 2017年(平成29年)10月7日(土) 14:00~16:30 |
会場 | 多目的室(名古屋外国語大学・名古屋学芸大学図書館5階) |
対象 | WLAC Students 登録者(本講座は、学外の方や登録していない学生は対象となりません) |
問合せ先 | 名古屋外国語大学ワールドリベラルアーツセンター 0561-75-2164 |