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7月16日「日本の領土問題を考えるカギ」を開催しました



2016年7月16日(土)14:00~15:30
WLAC主催講演会
「日本の領土問題を考えるカギ」を開催しました。


この講演会について、中日新聞にも掲載されました。
WLAC主催講演会「日本の領土問題を考えるカギ」(中日新聞)

 名古屋外国語大学ワールドリベラルアーツセンター主催(東海日中関係学会後援)の講演会「日本の領土問題を考えるカギ ~サンフランシスコ体制と尖閣・竹島・北方領土:過去、現在・未来」が7月16日、名古屋外国語大学で開催された。カナダ在住の気鋭の女性研究者、原貴美恵ウォータールー大学教授(東アジア国際関係論)が、北方領土、竹島、尖閣諸島などの領土問題の根源について第二次世界後のサンフランシスコ平和条約締結過程で米国の東アジア政策の変化によって生まれていたことを米国公文書研究などに基づき実証的に明らかにし、問題解決の方向性を示した。
会場では学生、教職員、一般の参加者計102名が熱心に聴講した。

講演要旨

Ⅰ 「サンフランシスコ体制とその負の遺産」
日本は敗戦から6年後の1951年にアメリカはじめ48カ国とサンフランシスコ講和条約を結び、国際社会に復帰した。しかし、日本が敗戦とともに放棄した領土について、どこの国にどの範囲を返還するかという最終帰属先と返還範囲が明記されなかった。このため、旧大日本帝国の領土処理から派生した戦後未解決の諸問題は、サンフランシスコ体制の「負の遺産」として残った。
この背景には、地域冷戦対立がある。
米国の条約草案には、米国のアジア政策の変化が刻々と反映されていたことが分かった。1940年代後半における初期草案には、旧敵国の日本に対する懲罰的な方針をもとに、将来に係争が残らないように戦後日本の国境線や小諸島の帰属先も明記示されていた。だが、1950年、51年の後期草案は短縮されてシンプルで、未解決の諸問題が残った。
初期草案では、竹島は「Korea」へ、台湾は「China」へ、千島・南樺太は「ソ連」へ、とそれぞれ明記されたが、最終的に「未定」とされた。1950年2月の中ソ友好同盟相互援助条約締結、同年6月の朝鮮戦争勃発によって、米国は中ソ冷戦とともに対中国(中華人民共和国)封じ込めへと政策を大きく変更した。
 Ⅱ 「地域冷戦とマルチ・リンケージ」
日本の領土問題を協議したカイロ宣言(1943年、米英中三カ国首脳)では、大西洋憲章の領土不拡大原則を継承している。ヤルタ会議ではソ連の参戦と引き換えに、ソ連へ千島・樺太を割譲する密約が交わされた。その後のポツダム宣言で日本の主権は制限されたが、サンフランシスコ平和条約で曖昧になった。冷戦体制による中国封じ込めとしての楔が撃ち込まれた。米政府は領土問題の精神的効果として反ソ・親米感情、領土ナショナリズムの効果も計算していた。
 1956年には日ソ両国が二島返還で平和条約を締結しようしたのに対し、米国のダレス国務長官が沖縄を日本に返さないと恫喝して、当時、「歯舞、色丹は日本へ」を最終目標としていたことが、オーストラリアの公文書館で発見した日本外務省の文書等から
分かる。
 米国政府は当初は「尖閣は沖縄の一部」との明確な考えを持っていた。中華民国の蒋介石は日本に対し沖縄を放棄するよう要求し、「回復」しようとすらした。その後、中華人民共和国も台湾の中華民国も、「尖閣は台湾の一部」との主張を打ち出した。米国は沖縄とともに尖閣の施政権を日本に返還するが、主権については中立の立場をとった。尖閣問題が残ったことにより、沖縄の米軍基地存続は正当化しやすくなった。即ち、日本へは「中国の脅威からの防衛」、中国へは「日本の再軍備化防止」との口実にもなった。
また、米国務省は南沙・西沙諸島の中国への帰属も検討していたが、最終的に共産中国へ渡さないために講和条約では南沙・西沙諸島の帰属先は未定となった。

 現状は冷戦の終焉というより1970年代のデタントに近い。東アジアでは戦後の対日領土処理の曖昧さに起因する国境処理については、欧州の経験に見習うべきである。1975年に欧州の国境不可侵と安全保障・経済協力を約束したヘルシンキ宣言が採択され、欧州安全保障協力会議が成立した。東アジアでは1970年代に米中の接近により、対中封じ込めから対中関与に転換したが、領土未定問題に起因する根本的な不安定要因は残ったままである。火種が激化する心配がある。
Ⅲ 解決案の模索
二国間交渉では勝ち負けになるので、多国間マルチの関係で解決を探るのがよい。地域共同体構築・地域統合にもつながる。ではどんなマルチの解決案があるか。国際司法に日本が関係する三つの領土紛争をセットで持ち込んで、国境を決めてもらうとの方法もあるが、判事は各国の元トップ外交官が多く、公平な判断というより政治的駆け引きになりやすい。
米国の関与はプラス、マイナス両面がある。解決フォーミュラは相互譲歩と全体利益による。仮想例として現状追認プラスαがある。日中間の三カ国交渉において竹島は韓国に譲り、尖閣は日本に譲り、西沙諸島は中国に譲るということができないか。
ヘルシンキ合意はヤルタ体制の国際承認で、欧州の安定に寄与した。この東アジアバージョンが考えられる。中東などと比べると、東アジアの領土問題は日が浅く、解決の糸口もある。

主な質疑応答

 ①北方領土の多国間解決策について;
 北欧のオーランド裁定が参考になる。フィンランドがロシアから独立した際に、スウェーデン語地域のオーランドがスウェーデンに戻ろうとした。自治と非武装中立等を条件にした。
 ②南シナ海問題で国際仲裁裁判所が下した裁定について;
 中国は以前から裁定を受け入れないと言っていた。過去にはニカラグア仲裁に対してアメリカが従わなかった例がある。こうした例が増えて行けば国際司法の権威にかかわってくる。裁定の中で注意しなければならないのは、岩を埋め立てた人工島は「島」ではない、その周囲の排他的経済水域(200㌋)を認めないとの判断が示されたことである。沖ノ鳥島も「島」と認められなくなると、他人ごとではないということだ。

原貴美恵教授略歴

ウォータールー大学教授。オーストラリア国立大学博士課程修了(国際関係論Ph.D:1997年)。カルガリー大学助教授(1997‐2000年)同大学准教授(2000‐2004年)を経て、現職。その間、ロシア科学アカデミー東洋学研究所客員研究員、イースト・ウエスト・センター客員研究員、東京大学、東京外国語大学客員研究員。アジア太平洋地域の国際関係が専門。カナダ在住。
著書;「サンフランシスコ平和条約の盲点―アジア太平洋地域の冷戦と『戦後未解決の諸問題』」(渓水社)、「『在外』日本人研究者がみた日本外交 現在・過去・未来」(編、藤原書店)、「東アジア近現代通史」(岩波書店)、「日露関係史」(東大出版会)等。
(外国語学部特任教授 川村範行)