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石田紗季さん



国際教養学科での学び

 今回、国際教養学科のいち1期生として大学4年間の学びに関する記事の執筆機会を頂いた。
 大学入学時今より更に無知だった私がこの学科に入って学んだことは書ききれないほどたくさんあるが、中でも私の心に大きく響いている3つの発見についてまとめて書いてみることとする。

学びの楽しさを知る

 大学に入学して最初に私の心を動かしたのは、学びから得るワクワクである。それは点が増えていく嬉しさと点が線になり面になる楽しさ、そして面が立体になっていく面白さだった。
 4年前私は今よりも知らないことが多かっただけに、授業やその準備を通して自分の知っていることが増えていくことが嬉しかった。
 高校の時は自分の中で無意識のうちに試験のための勉強と捉えていたためか、あまり感じることはなかったが、大学では自分の興味のある分野に関する情報はもっと知りたいと感じる自分の欲を知った。
その嬉しさよりも私がワクワクを実感したのは、単体として知っていた知識同士につながりが見えた時である。話がいろんな方向に飛ぶ先生の授業があった。 最初は何の話をしているのか、なぜ全く別の話を持ち出してくるのかわからずに悶々としていたが、関係のないように思っていた事柄のつながりを理解した瞬間から、その授業が自分にとってたまらなく面白いものになった。「世界はそんなに複雑に絡み合っているのか」と途方に暮れたような思いもした。

そして「自分が信じ込んでいたものが実はそうではないかもしれない」という現実を見た時には、ワクワクを超えて衝撃を感じたような気がする。「進んだ技術を持つ国々に“文明化”されていった原住民は真に野蛮だったのか」「現在世界で起きているテロ行為の元凶はどこにあるのか」そうした自分が持っていたものとは異なる視点を見て、単純な善悪の対立構造は成り立たないことを知り、「学ぶ」とは面白い行為であると同時に見えない“正解”に対して頭を悩ませることなんだ、と感じた。

“自分”を発信する

 在学期間中にイタリアへの研修とニュージーランドへの留学という国外での生活を体験して強く感じたことが、“自分”を発信することの重要性である。“自分”というのは日本で過ごしてきたからこそ、名古屋外大に来たからこそ、留学したからこそ見える自分なりの視点であり、そこでは“それらしい答え”など求められていないということだった。
 イタリア研修でグループプレゼンテーションに向けて話し合いをしていたときのことである。グループのメンバーは建築を専門に学ぶ大学院生や研究者で、専門外である自分には“それらしい答え”が見つからず、与えられた課題に対して意見が言えなかった。すると彼らは私のことを気にせずイタリア語で話を始めた。その状況に対して「このままではやばい」という危機感を感じて“それらしい答え”じゃなくても何か自分から発信しなくてはと思い、自分に思いつく限りのことを必死にぶつけた。そして自分にできることをすることで、メンバーに認めてもらい、結果として自分のアイディアも加わったグループプレゼンでは最優秀賞の評価を頂いた。

それまでは自分の発することは正しいものでなければならないと思い込んでいたが、そもそも正しい答えなど最初からなく、“それらしい答え”は求められていないことを痛感した。留学先でもよく「さきはどう思う?」「日本ではどうなの?」ということを聞かれ、彼らとは異なる意見、“私”の人生を歩んできた“私”にしかわからない視点で意見したらよいということを再認識した。

自分に捉われない

 自分の進路に悩んでいたときにゼミの教員に言われた言葉が私の心に大きく響いている。

「まわりに合わせようとするから窮屈な世の中になる」

 同学年の人が就職活動を始めていて、自分は卒業後どうするのか、どうしたいのか悩んでいたときに、私のゼミの教員はそういった。まわりの空気や社会の雰囲気を感じていた自分は無意識にそれに沿って自分のやるべきことを探していたが、その言葉で周囲に合わせて自分の人生を選択する必要はないし、そうした思い込みで自分に制限をかけていたのは自分だったということに気付かされた。
 自分のする仕事や勤める企業よりも日々の暮らしにより関心のあった私は、旅を通して自分の住みたい場所を決めてから仕事を探すという形で就職活動を行い、有難いことに自分が最もときめきを感じた島根県隠岐郡海士町で生きていくことができそうである。
 自分の進む道が定まった今になって振り返ってみると、自分が敷いていた境界を越えたところで悪い方向に進んだとは思わないし、自分のやるべきことを無理に探さないでもやりたいことがはっきりしたら自然にやるべきことは分かった。

国際教養学科で学んだ4年間

 国際教養学科で学んだ4年間は信じられないほどあっという間に過ぎていったように感じるが、そこで出会った心躍るような興奮と心の底から受けた衝撃は大きく、確実に今の私を形作っているように思う。
 この4年間で感じたことを踏まえて、今後の体験ひとつひとつが自分をどのように変えていくのか、自分が一番わくわくしている。